鴻臚館に想いをのせて 第二部

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第二部/全四回

第二部「土の底の証言」

 時は流れ、昭和六十二年の夏。

 福岡市の平和台球場、その外野席の改修工事が始まった日のことを、考古学者の田村冬子は一生忘れないだろう。

 田村は三十九歳。福岡市教育委員会から発掘調査のリーダーに任じられていた。「球場の工事に伴う確認調査」という、地味な名目の仕事だった。マスコミも注目しない。予算も少ない。助手の若い職員たちは、真夏の炎天下で明らかにやる気を失っていた。熱中症対策のスポーツドリンクと、蒸し暑さをぼやく声だけが現場に満ちていた。

 田村自身も、密かに追い詰められていた。

 二年前に発表した論文が学会で否定されていた。「筑紫館に国際的な迎賓機能があった証拠は存在しない」という批判。反論の論文を書こうにも、証拠がない。今回の調査で何も出なければ、彼女の研究者としての立場は本当に危うくなる。考古学の世界で女性がリーダーとして立つことの難しさを、田村はこの十年でいやというほど知っていた。それでも掘り続けてきた。土の中に、必ず何かがある。そう信じて生きてきた。

 炎天下の七日目。

 作業員の一人が声を上げた。

「先生、ちょっと来てください」

 土の一角が、周囲と明らかに色が違った。黒っぽい、湿り気を帯びた土。慎重に掘ると、木の杭が規則正しく並んでいた。溝の形跡。水の流れた痕跡。板を渡した構造物の跡。整然とした作りは、ただの穴ではない。

「……これ、もしかして」

 助手が呟いた。笑い出しそうな空気が、一瞬だけ流れた。しかし田村は膝をついたまま、真剣な顔で土を見つめていた。手で土をそっと払う。刷毛で丁寧に縁を出す。誰も喋らなくなった。

「トイレよ。それも、外国人専用のものと日本人のものが、別々に作られている。外国の客が来ていた証拠だわ」

 静寂が訪れた。風が止んだ気がした。

「サンプルを全部採取して。黒い層、全部。一グラムも取りこぼさないで。分析に全部回すわ」

 数週間後、寄生虫の卵の分析結果が届いた。

 豚の回虫。そして、豚に寄生する鞭虫の卵。豚肉を常食にする人間の痕跡。当時の日本に、豚を食べる文化はない。この卵を残したのは、大陸から渡ってきた外国人だ。しかも、長期にわたって使われた形跡がある。瓜の種を含む層が二層あり、夏を二度越えた使用痕が読み取れた。

 田村の手が震えた。

 次いで出土したのは、籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木の棒。トイレットペーパー代わりに使われた道具だ。荷札に使った木簡を転用したもの。その木の感触が、千年を超えてまだ生々しかった。田村は白い手袋をはめた手で、そっと持ち上げた。これを使った人間の体温が、今でも宿っているような気がした。

 別のエリアからは、中国越州窯の青磁の破片、長沙窯の彩色磁器、そして小さなガラスの欠片が出た。西アジア、イスラム圏のガラスだ。この丘に、世界の欠片が眠っていた。

 報告書を書きながら、田村は不思議な感覚に包まれた。千年以上前、大陸から海を越えてここへ来た人がいた。名前も残っていない。どこの誰かも分からない。それでも、その人が確かにここで息をして、食事をして、夜を過ごしたという痕跡が、土の底でずっと待っていた。

 誰かが来るのを、信じて待っていたかのように。

 発表の夜、田村は一人で福岡城の丘に残った。眼下に博多湾が広がり、夕日が海面を赤く染めていた。波は静かで、遠く能古島の影が見えた。

 あの使節たちも、この景色を見たのだろうか。同じ海を、同じ空を。

 海風が吹いた。潮の匂いのする、博多湾からの風。夜の風は思ったより温かく、田村の髪を静かに揺らした。

 田村は初めて泣いた。悔しさからではなく、何かと繋がったような気がして。土と人と時間が、ここで一本の糸になった気がして。

==次回予告==

第三部「丘の向こう側」

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