暇コラム お仕事遍歴

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暇ですよねー

1月ももう終わりに近づきまして、今月はあまり売り上げが良くないという方も多いと思います。私は正月しっかり休んで遊んでいたのでそりゃあまぁヒドイものです…

といっても、それを覚悟していたのでそれほど傷は深くない程度に終えられそうな感じです。

でもこの2年程度でタクシーをはじめた人たちにとっては今までの走っていれば手が上がったりアプリが入っていた時とは全く状況が違って戸惑っている方も多いと思います。

だいぶ運転手も増えてきた半面、コロナ明けのバブルも落ち着き、最近はインフルエンザも流行っていて外出を控える傾向が少しあるのか需要も落ち着き、さらにはライドシェアなんかも入ってきて、こんな暇なのにライドシェア必要???って感じですよね。

で、暇だなぁと感じた時にふと似たような状況を思い出したので書きなぐってみたいと思います。でそのついでに過去のお仕事エピソードもあわせてお楽しみ下さい。

※先に言っておきますが特に内容の無い話なので暇な時にご覧下さい※

配送センターでのバイト

時をさかのぼる事約2〇年、大学1年生の頃、私は、佐〇急便の配送センターで7か月バイトをしました。

それはもう過酷な環境でした。

はじめたのが6月。7ー9月の猛暑の時期は、18:00~22:00まで、時給千円で4時間、配送センターで荷物の仕分けでした。

集荷されてきた荷物がベルトコンベアーに乗せられて、流れてきた荷物を行先の番号別に仕分けてトラックに積み込む作業です。

流れてきた荷物が自分の担当する番号かどうか確認して、自分の場所に引き込むんですが、通り過ぎてしまったら次の人が代わりに見つけて持ってきてくれます。そんなことがあるとさぁ大変

当時の超絶ブラック企業として有名だった佐〇さんですから烈火のごとく怒られます。手は出されなかったけどまぁ今でいうパワハラですね。何しとんじゃぼけぇやる気ないなら帰れ的な感じです。

じゃ、なんでこんなところで働いていたかというと、時間も短い上に結構休みの融通が利いて、時給も千円と当時のコンビニバイトが850円程度でしたから、学生からしたらありがたかったのと部活でワンゲル部(簡単な山登りとキャンプ的な感じ)に入っていたので体力作りも兼ねて(筋トレ)いたのもありました。

で、夏は忙して3か月乗り切ったらなんとなく身体も楽になり、続けていけそうだなという感じでしたが、11月下旬から徐々に取扱量が増え、12月は16時から早く出勤していいよ~終わりも23時頃と時間も延びてもまだ終わらないみたいな状況が続き、稼げるけど、これずっと続いたら死んでしまう…と感じた事も。

で、どうにか乗り切って1月になった瞬間・・・今までの忙しさが嘘みたいにパタッと仕事が無くなりました。

延長なんて皆無。むしろ、21:30に仕事が終わるなんて事も。

そこで緊張の糸がぷつっと切れて、稼げないようなら辞めますと言って1月末で退職しました。

派遣の世界へ…

とはいっても大学生1人暮らしなので遊んでられません。次のバイトも探さないといけないので、とりあえず繋ぎで当時最大手であった、グッドウィル(以下GW)に登録。

印象に残っているのは、ポンプの展示会でした。

トラックで運ばれてきた大型ポンプを駐車場から展示会場へただ運ぶというもの。

コロコロがついているので、到着したら押して指定された場所に置いておしまい。

数回やった派遣の仕事でこれが一番楽でした。

トラックが来るまで待機…この時に当時28歳だというお兄さんがいて、待ち時間に暇だからと話をしていると、普段はダンスをしているのだという。

へぇ~ダンサーになる夢を追いかけてその合間に派遣のバイトをしているのか凄い人だなぁと尊敬の眼差しを持ちましたが…次の休憩の時に「さっきダンスしてるっていってましたけどどんなダンスしてるんですか?」と聞いたら「モー娘。のコピーをする女の子がいてその周りで踊ってるんだよ」と・・・

ただのオタクさんでしたw

ライブがあると各地遠征するから普通の仕事に就けないんだよねーと言っていた…

このエピソードで私は正社員採用を目指さすべきだなと思ったりした出来事でした。

他には、「自動車整備士の専門学校の引っ越し」という仕事もあり、自動車整備に使う大きな機械であったり、はたまた机の引き出しの中のトレイ一つ一つに番号が振られていて、1番ねじ3個、2番5個と、それぞれのトレイにねじが何本あるか一本一本調べてメモして、また引っ越し先で正しいか確認して・・・と、物凄く気の遠くなる仕事や、

新規開店する本屋とCDを扱うお店の棚の設営と商品搬入…あと純粋に引っ越しのバイトを一日3回等、体力勝負なお仕事が多かったです。

あ、それから愛・地球博の設営もありましたね。日本館の入り口扉は私がつけました(どやw)私がいなかったら、愛・地球博はできてなかったんですよ(言い過ぎ)

(時間軸をはっきり覚えてないけど2002年頃の早い時期にもう工事やってたのかなぁ…けどバイトしたのは間違いない)

思えば毎回職場が変わって色んな体験ができましたけど、毎回待ち合わせ場所が面倒だったり、直前まで仕事場所がわからなかったりで大変でしたね。

居酒屋にて

その後、大学の友達の紹介で居酒屋の調理の仕事につき、大学2年5月~卒業まで働きました。ここで働いたおかげで一通り簡単な食事を作る事が出来る様になったのはいい経験でしたね。(時給は900円だったけど22時以降は割増だし、まかないあるし飲み会は店の酒飲み放題で久保田千寿とか勝手に開けて飲んでたわw)

またまたGW

新卒で社会人になったものの、どうも会社が合わなくて半年で退職し、またGWのお世話に。ただこの時は、体力仕事はキツイので、SP販促(セールスプロモーション)に限定したお店に派遣されるという部署での登録でした。

一番印象に残っているエピソードは、

GWの担当者から「明日はスーパーでポカリみたいなやつの販売の手伝い?みたいですよ、でもGWと言わずに○○(メーカー名)から来ましたと伝えて下さい」と言われ、当日スーパーに到着。社員さんに「○○から来ました」と伝えたら、「え?○○?何のこと?」と言われ、「なんかポカリみたいなの売るって聞いてきたんですけどぉ―」と伝えたら、あぁ大塚製薬さんのお手伝いね、じゃぁ品出し手伝って、え?エプロンは?無いの?ダメだなぁじゃ、これ使ってと・・(本当はここでGWに確認必須なんだけどもうそのままスルーして言われるがまま一日中品出し)して、休憩のタイミングもわからず3時くらいにもういいんじゃない?といわれるまでずっと働いて17時で終了。まぁなんて適当な感じなんでしょうか。

あとは洋服屋さんでひたすらGパンを畳むとかした位かなぁ

これは一か月程度で終わりました。

添乗員~コールセンターのSV

そして、旅行会社でバスツアーの添乗員したり、旅行先の仕入れ交渉とか、下見とか添乗員のアサイナー(仕事の割り振り)したり、宿泊先の手配とかなんだかんだしましたね。

で、コールセンターを福岡に設置するからという事で福岡に転勤となり、まぁほぼクレーム対応&おねーさまたちの世界で色々あって精神を少し病み、また添乗員へ。

その後系列会社に転籍となりそこでもまた人間関係で病んでしまい、半年で辞めて、

仕事中は基本的に一人で働ける自由を求めて、タクシーの世界に足を踏み入れる事になるわけでした。

はじめてのバイト

はじめてのバイトは、高校1年生の年末年始に郵便配達でした。通っていた幼稚園周辺が配達エリアだったので楽だったんですが、高校2年の時は全然知らないエリアを回らされたあげく坂道が多い場所だったので時間内に配り切れなくて持ち帰って社員さんにバイクで配達してもらってました。それが嫌で3年の時はやりませんでした。

あと兄の紹介で、高速の浜名湖サービスエリアで静岡名産わさび漬けの販売のバイトなんてのもやったりしてました。

3年の時はもうAO入試を受けて秋には進路が決まっていたので、冬休み前には学校に無許可でお歳暮のピックアップのバイトをしてそのお金で青春18きっぷで九州まで遊びにきてたんですよねー1週間の一人旅。今考えれば親もよく許してくれたよねって感じです。冬の阿蘇が寒いなんて知らなかったぜ。25年前の話だからもうとっくに時効ですよね。

最後に

みなさんの変わったバイトエピソードなんてのがあったら教えてもらえたら幸いです。

お仕事経験の書きなぐりエピソードでした。

コメント

  1. ルル より:

    バイト歴、職歴の話、面白かったです。
    いろいろやっていたんですね。
    いつも楽しく読ませてもらってますよ。

    • malion より:

      コメントありがとうございます。
      なんだかんだ色々やってました。
      もう今は、タクシー以外考えられないです。

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